(この記事は、過去に別館としてDTIBlogに掲載していたブログ記事の転載です。同時期に当ブログに書いたものと重複があるような気がするのですが、気にしないで下さい。)
「死刑」の件については、一般向けの方のブログにも似たような事を書いたので、こちらでは、創作世界に関する事書いてみようかと思います。

もちろん、現実世界の事と、創作の中での事は何の関係も関わりも無いと言えば、それまでかも知れないし、実際私だって関わりなんてあるもんか!って思っています。

ただ、それでもやっぱり書いている人は現実世界にいるわけだし、それをチェックして規制する人だって現実世界にいる。もちろん、読んでくれてる貴方だって現実世界の住民ですよね?

自分の書いた作品の中の残虐描写と同じ方法での事件が起こると、もちろん「不謹慎な!そんな連載止めろ!」って話は出てくるし、いくらその辺を守ってくれる人がいたとしても、やっぱり当の本人である作者も動揺するし、動揺したら作品の内容にも影響する事だってある訳で。

…それが、死刑判決が出るような事件であれば尚更。

私なんかは、そういう状況に遭った事はないからこそ、「だからって臭い物に蓋をするのは正しいのか?」という話をするけど、実際そのような立場であれば同じ台詞を言えるかどうか。

世の中打たれ強い作家ばかりでは無い訳で、「私がその死刑囚を産んでしまったんじゃ無いか…」と思い込んでしまう作家がいてもおかしくないような気もします。

何が怖いって、答えが出てこないこと。何をやったって被害者は帰ってこないだろうし、でも傷付いたり、実害を受ける人がいる。つまりは、それだけの影響をいろんな人に与えている訳で、それは相当罪深いって事。でも、その罪に対して「死刑」という刑罰が正しいかなんて、私にはわからない。

遺族は正しいというだろうし、立場が違えば問題だって声高々に叫ぶだろうから。