…と思います。

だって、何かあると「ステマだ!」だとか、もちろん「隠れてないものをステマって言うな!ステルス戦闘機に謝れ!」と思ったりする訳なのですが、それとは別に。

節分の時にちょこっと書いたけど、今「ステマアレルギー」並みに過敏反応されている方の定義をそのまま定義すると、「土用の丑の日」だったり、「恵方巻き」だってその範疇に入ってくる訳で。日本式バレンタインデーなんてその典型じゃないですか。

それに対して、「私はイラネ」というのは別に構わないけど、それに乗じてその「ステマ」に乗っかって楽しんでいる人がいるのに、それを否定する必要がどこにあるのかな…と。明確に「イラネ」と主張してるのに、それでも強引にその枠に引きずり込もうって人が貴方自身に接近してきたら、そう言い放てばいいだけの話です。
テレビやラジオや新聞であれば、そのキーワードに対して、「ふーん」程度で読み捨てれば良いことですし、ネットニュースは検索するときにマイナス条件に指定してれば済む話です。

実際、ナタデココや某抱きつき人形などがブームになった時代でも、普通に行われていましたし、「それなら騙されてもいい」だとか、勢いに任せて盛り上がっちゃえという人が、それに加わってブームを作っちゃった訳です。
分別のある消費者になる事は確かに良いことではあるのですが、そういう人の楽しみを「ステマだ!」という否定の言葉でつぶしてしまう必要はどこにあるんでしょうか。

悲しいかな、賞賛の言葉よりも、否定の言葉より大きく聞こえてしまうのが、昨今の世の中です。もちろん、その文句がより賞賛の声を増やすのに使えるだけの実のあるものであれば良いのですが、多く見えた少ない罵倒の声に屈してその商品やサービスを止めてしまうという事になれば、それはもう単なる悲劇でしかないんじゃないでしょうか。

クレームを付けるなだなんて言いません。でも、もうちょっと落ち着いても良いんじゃないかなぁ…と、私は思うのです。